Nº 7 九谷焼のスキー図 特注酒器

小出雲坂を滑り降りた先に待つ、熱々の肉料理と文明の味

雪山を滑る緑のスキーヤー

 少し黄味を帯びた温かな白釉の肌に、緑色のウェアを着たスキーヤーが気持ちよさそうに滑降しています。轆轤(ろくろ)の目が強く残る凹凸の激しい器面に、筆をぶらすことなく繊細に描かれたこの絵付けは、九谷焼の職人による手仕事です。徳利と猪口、そして今では宴席で見かけることのなくなった「盃洗(はいせん)」までが揃ったこの一式は、かつて新洋軒で行われていたある「競争」のためにあつらえられた特注品でした。

歌詞にうたわれた「新井下り」

 徳利の裏面には、朱色の筆文字で俗謡のような一節が記されています。「ちらちらと 星も遠くに 見え出した スキーで戻ろよね 戻りましょうね 新井のいろはへ 肉食べに」。  戦前、この地域では「新井下り」と呼ばれるスキー競争が行われていました。スタート地点は、地域の経済を支えていた山手の日本曹達(日曹)の工場。ゴールは、麓の町にあるここ新洋軒。当時の屋号は歌詞にある通り「新井いろは」でした。初代・惣次郎が高田の有名店「いろは」での修行と、横浜での研鑽を経て暖簾分けを許され、ハイカラな肉料理を提供する店として賑わっていた時代の記録です。

初代の美意識と職人の技

 特筆すべきは、この器を発注した惣次郎の美意識です。行商との付き合いを大切にし、九谷焼を好んだ彼は、単なる食器としてではなく、客人が楽しむ「時間」そのものを演出する装置としてこれを用意しました。雪の質感を表現した白絵の具の盛り上がりや、しなやかなスキー板の描写からは、作り手と使い手の双方が、この地域の冬とスキー文化を愛していたことが伝わってきます。

 盃を洗い、主客で献杯し合う盃洗の水がぬるむ頃、追加の肉を切る厨房へも醤油の芳しい匂いが漂っていたことでしょう。「ツツツがツー」という歌詞の軽快なリズムは、雪道を滑り降りてきた人々の高揚感と、温かい料理を囲む安堵のため息に重なります。

語り尽くせぬ余白

盃洗(はいせん)という失われた酒席の作法や、そこに記された判読しがたい歌詞の謎、そして「新井下り」の詳細な記録については、また別の機会に譲ります。今はただ、当時の人々の高揚感に思いを馳せ、この器を眺めるのみです。手に取れば、ろくろの凹凸(おうとつ)と土の質量が、ずっしりとした歴史の重みを静かに伝えてくれます。