Nº 14 百年前のお花見

経塚山の若桜と、和洋折衷が物語る百年前の春

横浜修行と二つの店舗の始まり

横浜での厳しい修行を終えた初代、村越惣次郎は、故郷である新井の地に戻り、精肉店と食堂を併設した「新洋軒」を構えました。さらにその後、最初の修行先であった高田の肉店からその名を分けることを許されます。初代は新井に構えた「いろは」の店舗を弟、村越惣三郎に任せ、自身は新洋軒の厨房に立つという形で、二つの店舗を軸とした商いが始まりました。良質な食材を調達し、付加価値の高い西洋料理として提供するという、当時としては極めて合理的で近代的な事業モデルでした。

経塚山のお花見出店と人々の姿

残された一枚の写真は、開店から間もない昭和初期に、新井の経塚山でお花見の出店を開いた際の記録と推定されています。看板には右から左へ「いろは食堂」の店名が掲げられ、コック帽を被った料理人や、日本髪を結い着物の上に白い割烹着を身につけた女性の姿が収められています。こうした和と洋が混在する装いが、昭和初期ならではの風景をありのままに記録しています。元々白黒で撮影されたこの写真には、後からデジタル処理による着色が施されました。青い幕や赤い提灯、そして淡い桜色の垂れ幕がなんともモダンです。

背景の小木と流れた百年という時間

写真の植物に目を向けると、まだ幹の細い桜の小木が植えられているのが確認できます。この日からおよそ百年という年月が流れた今、あの時のか細い桜の木が経塚山の土に根を張り、どれほどの大木へと成長したのか。一枚の古い着色写真は、店舗の成り立ちを示すだけでなく、新井の街とそこに暮らす人々が重ねてきた、膨大な時間を物語る一次資料となっています。

この出店で、当時どのような料理が振る舞われていたのでしょうか。ラーメンやスパゲティといった品目が日本の食堂に普及するのは、まだまだ後の時代のことです。精肉店としての良質な肉と、横浜仕込みの洋食の技術。その両方を掛け合わせた、かつ丼やハヤシライスといった当時の花形メニューが提供されていたかもしれません。ラードで香ばしく揚げられた豚肉にかける玉子をカチャカチャと菜箸でかく音、じっくりと火を入れられた濃厚なソースの匂い。目を閉じて百年前のお花見会場にタイムスリップしてみませんか。